長らく、親との関係性について述べてきました。
親と子どもは分離した存在であり、親から自由になればいいだけ。
と、簡単に述べる人もいるけれど、当事者としては、記憶もままならない頃から、日常的に暴言と暴力のある環境下で育つ。
暴言暴力というと、そうしたものが身近にない人には理解が難しいということも重々承知だ。
だけれども、たとえば、暴言暴力ではなく、日常的に挨拶のある家庭だったとしよう。
おはよう。
ありがとう。
いただきます。
ごちそうさま。
おやすみなさい。
こうした過程で育てば、自然と挨拶が普通になる。
食べ方や、言葉の選び方、話し方も両親の影響は大きい。
親子で似たような話し方をする人も多い。
考え方も似てくる。
親と関係ないという人も、親からの影響は大きいと思う。
育った環境下で違いはあるとはいえ、考え方や思想、常識の多くは親からのものが多くないですか?
ということで、大きく影響を受けている面があることは事実だ。
沢山嫌な思いもしたし、
関わらないほうが自分のためと分かりつつ、
関係を切れない自分もいる。
距離を置いて、
親を許すということを何度もしているけれど、
許してはまた、理不尽なことで暴言をはかれ、悪者にされる繰り返し。
関係をたたないことが問題なのだと言われれば、確かにと頷ける。
けれど、自分のために、出来れば普通の関係を築きたいと願ってしまうのも、仕方のないことだと思う。
普通親子関係は難しいと理解したうえで、それでも、普通の人と接するレベルで普通の会話が出来るようになることを願ってしまう。
親としこりが残ったままが嫌なのだろう。
普通の親子関係も築けないことに負い目や引け目を感じている面もある。
普通の家族がいないことにも恥ずかしさのようなものを感じてしまう。
もともと持っている人は分からないだろうな。
でも、ようやく、自分の心に余裕が持てるようになって、自分の心の問題に目を向けようと、向き合おうとしているところ。
親との関係の問題を振り返るためにも、
何より自分のために、今までとは異なるアプローチで取り組もうかと。
今までも、何度も色々なアプローチで取り組んできたので、どうなるかわからないけれど、自分が満足したり、自分が前向きに進める道が開いていけば嬉しいと思っている。
長々書いてきたけれど、
私は親のことは嫌いではない。
状況的に関わると自分を傷つけることを、親であるから、なんの問題もないと思い、自己主張が当然とばかりに、おかしな主張をしてくる。
だから、極力関わらない。
けれど、私にとっては親であり、
幼い頃から、どんなにひどい仕打ちを受けても、愛されたくて大好きな存在だったから、今も大切な存在であることにはかわりない。
また、私の場合、他の理由もあり、親との関係は一応繋がっている。
ただ、今後、自分の環境や状況が変化すれば変化してもいいと思っている。
何度か、絶縁を試みたこともある。
今も絶縁に近しい状況でもある。
親との現在の関係が良くなれば嬉しいけれど、それは、すでに何度もチャレンジして、あ、これは。というところまですでにチャレンジをしている。
だから、今後は関係を良くするためにということより、自分の今後をよくするために、見てみぬふりをしていた、傷付いた自分の過去を癒やすために、親との関わりを振り返り、自分を見つめかえそうと思っている。
それが自分を幸せにするために必要なことだと気付いたから。
私の大切な人から、
私が見てみぬふりをしている問題に対して、
それは、君の問題だから君が解決しないといけない。
と言われた。
当時は、どうして一緒に解決してくれないのだろうと納得いかなかった。
けれど、確かに、私の問題なのだ。
私は彼に自分の問題を詳しく話してもいない。
問題を抱え込んで、必死に手離そうとせず、隠して見えないようにするばかりだった。
だから、自分が手放すためにも、自分がその嫌な問題を見る作業から始めようと思う。