親とは離れて暮らすようになり、
一時期は一切連絡を取らない時期もあった。
現在は最低限の連絡にしている。
距離を置いて一番良かったことは
暴力と暴言から離れられたこと。
暴言は本当に毎日かけられていた。
ただ、本人たちは暴言だと気づいていない。
毎日、毎日、人格を否定することを言われ、嘲笑われる。
早く出て行けとよく言われていた。
自分もあり得ないほど傷ついているのに、出て行くことは絶対に考えられなかった。
というのも、毎日人格を否定されていたから、
自分は何も出来ない人間。
価値のない人間。
だと思いこんでいた。
何かを始めようとすると、親から
絶対に失敗する。
できるわけがない。
何も出来ない。
と、口酸っぱく言われてきた。
だから、私は何もない、何もできない人間だと思い込んできた。
何も出来ない、だから、一人暮らしなんて出来ない。
親がいないと私は何もできない人間だと思いこんでいた。
親に強く依存していた。
けれど、親と大きく衝突して。
理由はよく覚えていない。
昔から、私が悪いことで怒られることもあったが、理不尽に私を悪者にすることで私以外の家族の調和をとる関係性が出来上がっていたので、家族の調和のためを理由に、私は追い出された。
当時はお金もなく、家族関係以外でも私のとりまく環境や状況が最悪に近いところから少し抜け出し始めたばかりの頃だった。
一人暮らしを始めるとき、本当に何も協力してもらえなかった。
自分一人で何もわからない中、家を探し、家具を購入し、引っ越した。
引っ越した当初は本当に最悪だった。
不動産と揉めることもあった。
家を追い出され、一人になった。
本当にキツかったし、誰も支えてくれる人もいない中で、泣いていた。
けれど、月日が経つうちに、どんどん楽になった。
本当に不思議なほど楽になった。
それまで、本当に苦しくて、毎日親の暴言が頭の中をリピートして、
自分は駄目なやつ。
自分は何も出来ないやつ。
自分は価値のない人間。
自分は普通のこともまともに出来ない欠けた人間。
そんなことばかり、頭をグルグル回って、自分という人間性を構築していた。
自己嫌悪がひどく、気持ちも体も常に重かった。
一人暮らしを始めた当初は、この自己嫌悪が最高潮になり、
自分が親を大切にできなかったからだ。
自分が最悪な人間だからだ。
と、自分を責め立てていた。
けれど、いつの日からか、
母親から毎日のように唱えられていた
はあ。
できない子。
なんでそんなに駄目なの?
を耳にしないで済むことで、自分の気持ちが本当に楽になった。
また、環境が変わったこともあり、周囲の人が、よく私のことを褒めてくれる人たちに囲まれた。
よくできるね。
すごいよ!
ポジティブな言葉をかけられるたびに、気持ちが向上した。
環境を変え、自分を傷つける場所から、自分を認めてくれる場所に移動するだけで、こんなに幸せな気持ちになれるんだと驚いた。
人のせいにするなと言うし、今私は、精神的にも余裕のある状態だから、自分の人生は自己責任、自分で決められることが多いと言えるけれど、
精神的に余裕がなく、
周囲から攻撃を受けるばかりの人は、自分で行動しても叩きのめされることが繰り返されると、戦うことも諦めてしまう。
辛い状況だから、精神的にも不安定になり、視野も狭くなってしまう。
行動することも、考えることも、諦めてしまう。
本人が悪いのではなく、傷つき過ぎて、疲れて、周りが見えなくなる。
選択したくても、選択できる能力を失ってしまう。
親のせいにするな。
親不孝者。
と言ってくる人もいるけれど、幼い頃から育った環境下で、常に自信をなくす、自分の価値を否定される言葉をかけられる人は、自然と自分の価値を信じることが難しい考え方になるのは仕方のないことだと思う。
親のせいにするなと言うけれど、親だからという立場を利用して、子供を傷つける権利なんてないと思う。
子供は親が作ったと言うけれど、
確かに痛い思いをして生み出してくれたことには感謝しているけれど、
痛い思いをして、命まで懸けて生み出す覚悟をしたのなら、愛する覚悟までしてほしかった。
私の母は子供を可愛いと認識している。
けれど、私に対してのみ、ずっと当たりが強かった。
私に対して、高圧的で指摘したがる人。
私の父は人見知りで、人付き合いの苦手な人。
自分の気持ちを言葉で表現できず、怒ると暴力でしか、気持ちを伝えられない人。
父も母も互いに子どもに対する態度のおかしさを気付けず、容認する人たち。
親に完璧は求められないと思う。
人間だから。
それは確かに仕方のないことだと思う。
けれど、私の両親は、常識や世間の評判わとても重視する昔ならではの人達。
だから、本心で子どもが欲しかったというより、きっと、結婚したから、子どもを作らないといけないから、作ったに過ぎないと思う。
それは、想像だろう、子どもが欲しかったんだろうというのであれば、
子どもが欲しかったとしても、
自分たちの言うことを素直に聞く、穏やかな子がほしくて、聞き分けのない子は価値がなかったのだろう。
そう考えるは親の自由だし、人間だから仕方のないことだと思う。
けれど、それなら、愛せないからと、自分たちの掃き溜めにするようなことはやめてほしかった。
掃き溜めにされたほうは、その嫌な感情を全て受け止めなきゃいけないのよ。
すごく小さなまだ子どもだとしても、20歳を超えた大人の不満を受け止める。
なぜ、そんなことをしないといけなかったんだろうね。