💛自分のために何が出来るか
自分のために出来ることは、出来る限り行う。
これは、20歳を超えてからずっと自分の中で大切にしていること。
未成年の時は、親や周りの大人に言われるまま
制限がある中での活動だった。
20歳を過ぎ、一人暮らしを始め、自分で生活をするをするようになり、
自分がしたいと思ったこと
自分が学びたいと思ったこと
自分の可能性を広げること
は、出来るだけ行動に移してきた。
そうすることで、沢山のことを学ぶことが出来たと思っている。
💛失敗
人によっては、失敗だと思われるようなことでも、
実際に経験してみると、失敗なんてなかったと思える。
だって、失敗していると言って、何もしない人は何も学べなかっただろうけれど、
行動したことで分かることって沢山ある。
実際にその位置に立ってみる。
実際に経験してみる。
実際に行動してみる。
実際の行動を通して、自分だけでなく、
世界も
周囲の人間も
環境も
出会いも変わる
失敗もせず、行動を移せていなかったら、環境も人も変わらなければ、自分の価値観も経験も変わらないわけで、それが大きな失敗だと私は考える。
💛自分の世界に文句を言う人
自分の世界に文句を言う人が多いけれど、
自分のために自分で考え、
自分のために何か行動すれば、
それほど文句は出ない世界だと思う。
私は自分のために
沢山の経験をさせてあげたいし
沢山のことを学ばせてあげたい。
自分は沢山のことを吸収する人間だと思うし
好奇心の強い人間だと思っている。
全てのことを全て完璧に上手にしなさいとは思わない。
失敗しても
上手に出来なくても
経験したこと
少しでも身に付けたことに意義があると思っている。
💛完璧を求める人
私の周囲の人間は、
私が何か始めたとき
私が何かを学ぶとき
出来るだけ完璧を求めていた。
でも、完璧を求められると、とたんに全てがつまらなくなった。
窮屈で、しんどくて。
全然完璧になんてできない自分が嫌いだった。
でも、大人になって、自分の関心のあることには何でも取り組ませた。
別に中途半端だと周囲が言う形でも、自分が満足すればそこでやめたし、
上手に出来なくても、自分が続けたいというのであれば、続けさせた。
そうすれば、私は、自分のしたいことをしたいことだけ出来たし、
義務や、完璧を目指して無理に行うことはないので、自分の取り組みを嫌いになることもなかった。
少しでも関心のあることを取り組めば、少しは自分の身につく。
少ししかかじっていない物は役に立たないと思われそうだけれど、
意外と、別のところでそのかじったことが役に立ったり、
別のことで活かされる場面は、意外とある。
完璧に物事を成し遂げることを目指していた頃は自己嫌悪にはまりがちだった。
完璧にしないといけないから、失敗は許されないから、何か新たに取り組むことも恐怖でしかなく、自分の好きなことも、したいことも見つからなかった。
でも、今はそこまで深く考えていない。
ただ、自分が少しでもしたいのであれば取り組む。
楽しくなかったらやめる。
シンプルに生きている。
それでいいと思うんだよね。
だって、そっちの方が楽しいから。
自分のしたいことも分からない。
何が楽しいかもわからない。
って昔よく言っていた。
でも、結局は、したいことも、楽しいことも、自分の見れる世界があまりに狭すぎたんだと思う。
自分の知っている狭い世界の中で、どうにか見つけようとしていた。
今は色々な経験をして、様々な人に出会い、世界が広がった。
だから、以前よりもっと、広い世界で広い幅を持って、自分の世界を見れているし、完璧を求められていないから楽に選べるのだと思う。
夢がない人や
楽しいことが分からない人
したいことが分からない人
完璧主義になってしまっている人
というのは、結局、何らかの見えない物に縛られているのだろうなと思う。
もっと、自由に自分の世界を広げられたら、
もっと自由に自分を生きれるんだろうね。