自信の付け方の続き。
💛自信の付け方
自信の付け方。
私の考える自信の付け方。
- 不用意に貶してくる人に近寄らない
- マイナス発言してくる人に近寄らない
- 自分を自分で守る
- 自分のことを肯定する
- 自分で自分のことを褒める
②マイナス発言する人に近寄らない
マイナス発言って色々な発言があると思う。
①聞いていて暗い気持ちにさせる発言。
②他人の行動を制御したり、やる気を失わさせる発言など。
周囲が不快感を感じたり、恐怖や嫌悪感を抱かされる発言のことをここではマイナス発言として紹介する。
今回は、
①聞いていて暗い気持ちにさせる発言。
について詳しく話すよ。
💛暗い気持ちにさせる発言
過去の自分を振り返ると自分自身がよくマイナス発言をしていた。
「きつい」
「疲れた」
「だるい」
「うまくいかない」
「幸せになれない」
「つらい」
「できない」
「どうして私ばっかり」
あと、ため息もよくついていた。
ため息に関してはつき過ぎて、周囲から指摘される位だったから、酷かったんだと思う。
今振り返ってみて、すっごく不幸臭漂わせていたんだろうなと思う。(笑)
まあ、自分の中では本当にこれ以上落ちるところがない。
と思っていたくらいの状態だったから。
実際、どうしたら幸せになれるのか常に考えているような状態だった。
💛自己否定の癖がなくなった
ただ、前回の記事で
自分を不用意に貶してくる人と距離を取るようになって、
私はまず、自分を自分で責める、自己否定をする機会が少なくなった。
周囲の人間が当然のように私のことを否定してくるから、自分も自分のことを否定することが癖になっていた。
でも、否定してくる人がいなくなると、最初の頃は自己否定が続くが、
その後、周囲で自分を否定する人がいなくなったことで、自分で自分のことをわざわざ否定する機会は少なくなった。
あと、自分のことを否定してくる人より、自分のことを受け止めてくれたり、褒めてくれる人に恵まれた。
そのおかげで、自然と自己否定の癖が消えていた。
だから、本当に、周囲の人間の存在は大切だと思う。
そして、自己否定しなくなると、自分も周囲も含め、自分を否定する人がいなくなった。
そうなると、自分を否定される恐怖から解放される。
否定されず、伸び伸び自分らしく振舞っても、周囲の人も、そして自分自身も、そんな自分を受け入れるので、少しずつ自分の発言も明るくなってきた。
💛自分の言葉を注意して見ることが出来ていなかった
もともと、人間関係もボロボロで、色々なことが上手くいかなかった頃、悪あがきで、色々な本を読んで、自分の状態を良くしようとしていた。
そのときに、よく、
悪口を言わない、
否定的な話し方をやめる
これらが勧められていた。
悪口は、言霊があるから、悪意のある発言は自分に悪いことをもたらせる。
という意味で受け止め、悪口、否定的な言葉をまずは意図して発言しないことにした。
最初、これがなかなか難しかった。
というのも、人間関係ボロボロの中、周囲で比較的まともに会話が出来る人は、人の悪口をよく言う人しかいなかったからだ。
悪口を言う人だから、自分のことも裏で悪く言われているのだろうなと思いながら。
友達もいないし、会話してくれることが嬉しくて、合わせていた。
だから、悪口を言わないと決めた後、
悪口が話のメインテーマになっている人とは話があわなかった。
特に仲が良い関係でもなく、明らかに相手は自分のことを下に見ているのも分かっていたので、わざわざ相手の悪口を否定することはしていなかったが
「うんうん。」
と頷き相手の話を聞くだけ。
相槌ばかりで、悪口を言わないものだから時折、
「あいつ、うざいよね。どう思う?」
と、聞かれ
「私は別に、何も思わない。」
と伝えると
「いい子ぶりやがって。」
と嫌悪感を抱かれることがあった。
ただでさえ、友達もいないのに、たまに気まぐれに話しかけてきてくれる人まで離れることに危機感が強かったから、当時、悪口を言わないというのは、本当に難しさを感じた。
今は、友人に恵まれているし、悪口言っている人と無理に仲良くなることは出来ない。
とサッパリ考えられるけど。
学校に通っていて、まともに話すことが出来る人も、信頼できる人もいない中で、周囲は良好な友人関係を築いているときに、たまに話しかけてくれる人の話にものれずにいるんだから、当時は、かなり疑心暗鬼になりながら、きついなと思いながらよく続けたなと思う。(笑)
💛どんな発言をする人と一緒に居たいか
今振り返ってみて、自己否定のように暗い言葉を常に発している人と一緒に居たい人はとても少ないと思う。
昔の私のように自己否定ばかりの人間と付き合うのはきっと大変なのだと思う。
実際、当時ほぼ友達がいなかった。
当時は本当に現実がきついし、どうしてそんな現実と向き合わなくてはいけないのかが分からないし、人間関係はボロボロだし、原因を教えてほしかった。
現在、当時の自分の原因は理解できる。
現在の私は、自己否定や暗い発言をする人と接していると、疲れてしまう。
多分本人は辛い現実を嘆いていたり、自分ではどうしていいか分からないから、他人に助けてほしいのだけれど、
接する相手は、マイナス発言している本人が抱える重い物を無理やり一緒に抱えさせられる気持ちになるからだと思う。
とはいっても、私もきつい時期があったし、その時期にためこんで本当にきつかったことも事実だから、愚痴を言うな!弱音を吐くな!ということは主張しないよ。
時には愚痴も弱音を吐くことも、誰かに助けてもらうことももちろん大切なこと。
大切な自分がきつくて、辛い状況であれば、一番に自分を助けることは当然のこと。
この時の助け方って色々あると思うけれど、話が大きく反れるので、今回は、この話はここまでで。
💛暗い話をされたとき
現在、私は周囲の環境にも状況にも恵まれ、過去の私が望んでいた状態に近い状態になっている。
おかげで元気で心に余裕があり、性格も明るくなった。
だから、周囲で暗い発言をする人がいても、相手の暗さに引きずられない。
明るく対応し、相手が発する言葉によって、暗いマイナスの何かを感じても、明るさで、マイナスや暗い重たいものを明るい方向に流す。
流すと言うと、相手に対して失礼なように感じる人もいるかもしれないが、暗い話を明るい方向に流すと、相手も少し楽になる表情や雰囲気に変わることが多い。
多分、暗い思考回路をぐるぐるしていたところに、明るさのエッセンスが入ったからだと思う。
ただ、自己を否定されてきたときと同じように、暗い発言が続く人と一緒に居ると、その暗い発言の人の暗い思考回路が自分にも培われることがある。
これが流される。
だから、一緒に居ると、暗い考えが巡ってきつくなるので、私自身も暗い考え方から明るい考え方に移行している途中に暗い考え方の人と一緒にいると、また自分の思考が暗くて重たい思考回路に流されることがあった。
ただ、私の場合、暗い思考回路の人とは、
自分が明るい考え方に向かおうと努力する流れで、自然と一緒に居ることがなくなった。
お互いに避けたわけでもないけれど、自然と、考え方が合わなくなると疎遠になった。
その後、暗い考え方だった友人と会う機会は減っても、友人関係は良好で、友人も現在とても幸せそうにしているので、考え方が合わなくなって、疎遠になることが悪いことだとも思っていない。
過去の自分も暗く、重たい思考回路が出来上がっていたものだから、周囲はそれが嫌で自然と離れ、自分自身も重たい物を持ちすぎて、軽い明るい考え方の人に合わせることが出来ず、仲間に入れなかったのだと思う。
どれが正しいとか間違いではなく、
ただ、同じような性質の人としか一緒にいることが難しいのかなと思う。
そして、暗い発言に囲まれている中にいるのも
明るい発言に囲まれる中にいるのも
どちらも間違いではないけれど、
どちらも経験してみて、私は明るい発言に囲まれている方が、
自分がずっと生活しやすいと思った。
だから、そうやって生きている。
長くなったので、また、今回の分は次に続きます。