💛20歳を越えたら自己責任
20歳を越えたら、全て自分の責任だよね。
子どもの頃は、親からの言いつけを守らないといけなかったり、
沢山の規制がある。
20歳を越えれば、自由になれるぶん、全ては自己責任。
20歳超えたばかりの最初の頃は、自己選択がなかなか難しかったけれど、半ばもすぎれば、だいたいのことは、自分で考えて行動するということが大切になる。
20歳前から、そうした自己責任で行動が出来た人間は、より、自分の可能性を広げてこれた人達なんだろうなと思う。
私は気付くことがすごく遅くて、子どもっぽい性格だったので、自分の可能性を自分で広げるということに気付くのにとても時間がかかってしまった。
💛自分の可能性を広げる
自分の可能性を広げるのは、親や、親しい友人、知人より、
自分自身で広げた方が早い。
親や、身近な人がいくら自分のことを理解していると言っても、
所詮、自分の言動を基に理解をしているに過ぎない。
自分という存在も、自分の言動も、
自分の心の内が変われば簡単に変わることが多い。
私は、自分という人間は変わることが難しい存在だと思っていた。
長年”自分”として生きてきたのだから、
人見知りで
コミュニケーションが下手で
馬鹿で
浅はかで
努力が出来なくて
出来ないことの多い人間。
そういう風に思っていて、そのように振舞い、そのような発言をしていた。
でもさ、
人見知りだって、
コミュニケーションが苦手だって
出来ないことが多くても、
少し、自分の意識を変えて、
少し異なる言動を心がけるだけで、
少しずつだけど
確実に人って変わっていくものだと、長年を通して感じて来た。
容姿だって、人から批判されることが多かったけれど、
自分で勉強して、実践を繰り返して褒めてもらえることが多い容姿を手に入れた。
自分の内面も、変えようと決意して、少しずつ少しずつ行動に移していった。
💛周囲の人間を選ぶ
自分が変化すれば、その変化を喜んでくれる人と、その変化を批判してくる人がいた。
私は、自分の変化を良い変化として考えていたので、変化を喜んでくれる友人を選択するようにした。
変化を批判してくる友人は自然に疎遠になった。
自分という存在は、自分自身でも作るし、
周囲の存在からも作られていると思っている。
自分で、自分の理想に近づけるように私は選択するし、
その選択で成長した部分を褒めてくれる友人を大切にした。
そうした友人は、私が成長しようとするときに必ず背中を押してくれた。
そして、私も、友人が成長するときには、背中を押す。
自然と互いに成長しあえる関係だし、向上心の強い、優しい人達だから、その人たちを通して学べることも多いから、自分を作る一部にもなっていると思っている。
逆に、私が成長しようと変化した時に、
「昔の方が良い。」
「その行動は恥ずかしいよ。」
と、言ってくる人とは自然と距離が出来た。
過去の私は、自分の意見もまともに言えず、周囲に意見を合わせた自分だった。
そんな自分のままでいることを望む友人とは自然と離れてしまったけれど、それでいいと思っている。
だって、自分の意見もまともに言えない。それが正しいという人と一緒に居ても、自分が良い方向に行けるとは思えない。
そうした人たちは努力している人がいれば、足を引っ張るような言動をする。
一緒に居ても、私は、努力している人の背中を押したくて、
でも、友人は、そうした人の足を引っ張りたい。
無意識で人の足を引っ張っている人も多いけれど、そうした人と一緒に居ても互いに居心地が悪いし、私は人の足を引っ張る自分になりたくなかったから、人の成長を一緒に喜べる人を選んだ。
それだけの話。
一緒に居る人の言動は、無意識のうちに移ってしまうことは多い。
一緒に居る人の癖が似て来たり、口癖が似てきたり。考え方まで似てくる。
だから、一緒に居る人は、慎重に選ぶ。
💛自己責任
そして、自分の可能性を広げるのは、周囲の人間以上に、
自己意識や
自己の言動
にあると思っている。
自分にとって何が大切で、何をしていきたいのか。
自分自身が明確に答えを出して、その答えのために行動することが何より大切。
人のせいにしたり
人のために生きるんじゃなくて
自分のために
自分が行動する。
自分の可能性なんて、絶対に自分以外は広げられない。
だって、友人を選ぶのも、誰と付き合うかも、自分しか選べないじゃん。
親が、
周囲が、
常識が、
人間関係が。
色々な理由はつけられるけれど、結局選択しているのは自分自身だということ。
さ!自己責任で、自分の可能性を広げていこう!