💛奇抜なファッション
奇抜なファッション、普通とは異なる奇抜な髪形、メイクで美人に見える人もいる。
髪型だけでも、
極端に短い前髪。
坊主。
奇抜な髪色。
など、様々なタイプがいる。
けれど、こうした美人は、ごく少数に限られている。
というのも、無難な服装は、その人の本来の素材を少し高めて演出してくれるが、奇抜なファッションは、本人のセンスや、本人の自己理解力、演出力による影響が極めて大きい。
だから、自分のことも理解できていない、自信のない状態のときは、こうした奇抜なファッションは正直お勧めしない。
自身がない、自分のことが好きになれない。
という人に限って、たまにこうした奇抜なファッションに偏る人を見かけるけれど、奇抜なファッションをしたからといって、誤魔化せるわけではない。
むしろ、無難な服装の方が誤魔化せる能力は高い。
ということを理解しておいた方が良い。
芸能人であれば、奇抜なファッションで自己の魅力を上手にプロデュースしている人が多いが、一般人で見ていると、自分の魅せ方を誤っているように感じられる人が正直多い。
というか、奇抜なファッションで自分の個性を上手に表現できている、魅力を表現できている。と感じられた人は2人くらいかな。
大抵の人は、奇抜性、普通とはちょっと異なる服装が裏目に出てしまうことが多い。
まあ、どんなファッションを選ぶにしても、自分のことをよく見て、自分のことをよく理解して、自分に似合う物を見つけ、自分を演出できるだけの能力が大切。
美的センスに長けている人、自己理解を行えている人を除き、無理に自分を演出するのは辞めといた方が、無難かなと思う。
特に自信のない人はね。
自信がある人や、奇抜なファッションをしても周囲から受け止められる能力のある人であれば、そのまま奇抜なファッションをしていいと思う。
自信がある人であれば、奇抜なファッションをして、他人から何を言われても気にしないし、自分のセンスの高さを自覚できている。
正直な話、センスが悪くても、ダサくても、自信がありさえすれば、どのようなファッションをしても良いと思う。
というのも、どんなに周囲がダサいと言っても、本人は満足して、幸福感が高い。その状態であれば、何を言われても、気にしないし、人の目を気にせず自分にとって幸福感の高い生活を送れるわけだからそれでいい。
私が、美人になりたいのは自分の幸福感を上げるため。
美人になれれば、自分がまず気持ちが良い。
鏡を見て、お化粧をして、服を選んで。
そうやって自分として生活をする上で、自分が美人な状態でいることが心地いい。
それは、自分の幸福感に繋がっている。
だから、美人になりたい。
他者から「美人」と褒められることもとっても嬉しいが、他人に左右される幸福感ではなく、自分が主体となって自己満足できる幸福感が一番大切だと考えている。
その自己満足を感じるためにも、自分が自分至上一番美人な状態に向上することが幸せ。
きっと、これは私だけじゃないと思う。
自信のない人も、自信がないからこそ、自分を好きになりたいからこそ、自分をより良い状態に向上させようと思い、ファッションを取捨選択していると思う。
けれど、自信のない人の多くは、他人の目をとても気にする人が多い。
そのため、自分のコンプレックスを目立たせないためなのか、奇抜にすることでコンプレックスを隠した気持ちになったり、少し変わった格好をすることで、自分を演出している人がいるけれど、大抵裏目に出ている。
そして、本人自身も、引け目を感じている節が見える。
人の目を気にする割に、人の目が見えていない。
人の目を気にしないのなら、いいの。
人の目を気にしない人は、人の目を気にせず他人とコミュニケーションを上手にとれるから。
💛自信とコミュニケーション能力
でも、人の目を気にする人は、人の目を気にしながら他人とコミュニケーションを取るから、他人からの”不審な目”や、”嫌悪感”に対しての耐性が低いため、上手にコミュニケーションがとれないと思う。
自信のある人は、他人から”不審な目”や”嫌悪感”を出されても、自分は自分というスタンスで相手と接するので、いつの間にか、嫌悪感を抱いていた相手が自信のある人の魅力に落ちていることが多い。
そして、魅力に落ちるわけだから、人間関係が円滑に進む。
だから、奇抜なファッションがいけないのではなく、奇抜なファッションをしても、自分の素敵な人間性を上手く表現して、人間関係を円滑に進められる人であれば、奇抜なファッションも逆にプラスのアイテムになる。
けれど、自信のない人の場合”不審な目”や”嫌悪感”に対して、同じように”嫌悪感”で返してしまう人が多い。
そうなると、人間関係を円滑に進めることが難しい。
自分が奇抜なファッションをするのであれば”嫌悪感”を抱いてしまう人もいることを理解した上で、”嫌悪感”を抱かれても、自分は自分と自分を認め、対等に接する能力がなければ、奇抜なファッションをすることはオススメしない。
また、奇抜なファッションによる偏見によって、相手が悪いと決めつけると共に、自分の他人からの一般的な魅力が落ちたということも気にしている節がある。
自分を魅力的に魅せたいのか、自分の魅力を見えないようにしたいのか、よくわからない言動に走りがち。
生活をする上で、リスクが高い。
💛恋愛面でも
あと、恋愛をうまくいかせたい。
といいつつ、少し変わったファッションに身を包む人もいる。
そうした人と話をしていると、
「どんな自分でも認めてほしい。自分のファッションは自由だと思っている。どんなファッションをしていても、自分のことを認めてほしい。」
と話す。
そうした女性が、同じようなファッションを身につけている人が好きで、そうした男性と両想いになりたいのであれば、私は背中を押す。
けれど、こうした発言をするにも関わらず、
「男性には、シンプルな服装を着こなせる、清潔感のあるオシャレな人。」
を求める傾向がある。
考えるのは自由だし、可能性としては0ではない。
自分に自信があり、奇抜なファッションを自分の魅力として演出でき、自分の内面の良さも相手にしっかり伝えることが出来るのであれば、奇抜なファッションも、趣味の一環であり、魅力の一環として相手に捉えてもらえ、恋愛関係に至るだろう。
けれど、自信のない奇抜なファッションをしている人の多くが、恋愛がうまくいかなかったとき、自分の外見を言い訳にする人がいる。
それが一番好きじゃない。
自分で自分の良さを演出してあげないと、他人が、自分の良さに気付くことは難しい。
自分で自分を魅力が無いように演出していれば、当然、相手にとっても魅力なく映ってしまう。
奇抜なファッションに引け目を感じるタイプなら、奇抜なファッションはしない方が良い。
奇抜なファッションが悪いというわけではなく、奇抜なファッションで、自分の魅力を諦める理由作りをしたり、奇抜なファッションで自分を誤魔化す人が私は苦手だ。
自分しか自分の魅力を引き出せないのに。
自分の魅力を伝えることが出来るのも自分だけなのに。
奇抜なファッションをしても、自分の魅力を伝えれば伝わることもある。
冷静に自分を見直した方が良いと、常々思ってしまう。