❤外見こそ中身
外見でしか人を見れない。
という人がいるけれど、
外見こそ内面をよく表していると思う。
❤外見は容姿ではない
例えばAの人は
髪の毛はボサボサ、
お顔はムダ毛が処理されておらず、
服はバランスの合わない適当な服、
靴は汚れている。
Bの人は
髪の毛が綺麗にセットされていて、
お顔のムダ毛も処理され、
服もその人自身の体型や雰囲気によく合う服、
靴も綺麗。
これが私の考える外見の違い。
容姿がぶすか美人かは外見ではない。
多くの人は外見のことを、容姿と表現する。
けれど、多くの場合、容姿がブス以前に外見を整えていない人が圧倒的に多い。
自分はブスだからといって、外見を最低限も整えていなければ、大半の人はブスになる。
❤外見こそ中身がよく現れる
上記で上げたAの人とBの人の容姿が同じ場合、大半の人はBをカッコいいと言うだろうし、Bに異性は惹かれる。
それは、外見が良いからだけではない。
外見から中身が透け出ているから。
AとBに対して、
なんとなくイメージ出来るのではないか?
私の場合、
Aは
だらしがない。
自己管理能力が低い。
私を大切に扱うことが難しいだろう。
という印象を抱く。
Bは
誠実そう。
自己管理能力が高そう。
私のことも大切に扱ってくれそう。
という印象になる。
よく、外見が悪いほうが、恋人や友達を大切にできる。
という人がいるけれど、私はそう思わない。
だって、外見を整えていない時点で、自分を大切にできていないのに、どうやって他人を大切にするの?
自分には無関心だけど他人は自分と違うから大切にする。
という人がいる。
実際、私も過去、自分のことはぞんざいに扱い、他人は王様のように扱っていた時期もある。
けれど、他人を大切にする方法を誤っていたと今は思う。
そして、似たような人を見ると、大切にしているようで、相手の負担になっていたり、自己中心的な大切な仕方になっていることが多いように思える。
大切にしたい気持ちは強く伝わってくるが空回りしている状態。
というのも、自分のことを大切にできていないから、喜ばせ方が他者中心のように本人は感じても、相手からは自己中心的に捉えられてしまう。
❤外見は相手への思いやり
この自己中心的な喜ばせ方というのも、外見によく現れている。
Aは自分のことをどうでもいいけれど、他人は大切にする。ときっと主張するだろう。
過去の私は主張する。
けれど、一緒に過ごすにあたり、
相手は時間を作ってAに会いに来ている。
Aにとっては普段の自分として会うだけだから、どのような装いでもいいだろう。
けれど、一緒に過ごす人からの印象はどうだろう?
適当な外見で来たなという印象のAと
整えられた外見できたBであれば、
自分と過ごすために綺麗に整えてくれてきたんだと思うBの方が恋人であればとくに嬉しいんじゃないかな。
友達であっても、
お互いの足の引っ張り合いをするような関係性を除けば、容姿を整えることに肯定的な人が多いと思う。
横に並んで一緒に歩いたり、
過ごす上で、外見を整えておくことは
相手への思いやりや気遣いにも繋がる。
汚いな。
だらしないな。
という印象を与える人より
綺麗だな。
見ていたいな。
という印象の人のほうが相手も嬉しいし、相手に対する思いやりにも繋がる。
ちなみにここでいう見ていたいなは、容姿に関することではなく、肌や髪をキレイに整えていることでも発生するし、全体のバランスがいいときも発生するよね。
❤外見は中身
Aにももちろん、いいところは沢山あると思う。
ただ、初対面で内面を知りたいと思うのはBが多いと思う。
というのもBの方が性格が良さそうに見えるし、そのように自分を整えているから。
実際にはAの方が良い人ということもあるだろう。
けれど、自分をどう扱うか、という重要な内面が外見に出ていると私は考える。