💛人と円滑にコミュニケーションが出来なかった
過去、人と円滑にコミュニケーションを取ることが出来ない時期があった。
その時は、人とまともに話も出来ない状態だから、自分で、周囲の人を選ぶなんてことは当然できないし、選ぶという以前に、相手をしてくれる人が枯渇しているような状態だった。
話がまともに出来ない相手を相手してくれる人って少ないでしょ?
しかも、まともに話が出来ないというのも、私自身が相手と目を合わせられなかったり、相手の話をすぐに打ち切るような話し方をしていたことが原因。
まあ、私の方でも理由があって、
相手と目を合わせられない
→自分の容姿を相手が見て不快な思いをさせるんじゃないかという恐怖から目が見れない。
相手の話をすぐに打ち切る。
→長々話させると、相手の時間が勿体ない。私相手に長く話したくないんじゃないか。
といった自己卑下による理由なんだけれど、まあ、相手からしたら不快な対応だし、なんで、そういった対応をされるのか、相手は当然分からないわけで。
私の人間関係はボロボロでした。
(というか、自らそれを選択しがちだった。)
💛リア充、パリピ系にも二通りの属性がある
対して、現在は、自分の容姿を磨き、人間関係の築き方も心得、円滑に人間関係を築けるようになった。
自己卑下していて、人間関係がボロボロだったときは、私が利用できるときにだけ寄ってくる人はいた。
対して、円滑な人間関係を築けるようになってからは、色々な人が私のところに集まってくれるようになった。
多くの人が集まるということは、私のことを利用しようとしてくる人は増えるかと思いきや、利用してくる人と出会うことは、逆にほとんどなくなった。
もちろん、人を利用しようとする人は一定数いると思う。
でも、そうした人達は、どちらかというと、弱者に寄って行くんだな、と今記載していて改めて感じる。
容姿を整えてからは、過去の私から見ればリア充?パリピ?(古いのかな?)と言われるような立場の人達が、積極的に仲間に加えてくれるようになった。
最初は、戸惑いもあったけれど、彼らは、仲間に加えてくれる能力にも長けていたし、何よりコミュニケーション能力が高いので、自然と私が楽しめるように、私が人間関係を上手に築けるような手助けを自然と行ってくれていた。
お陰で、自然と、人間関係の輪の中に入れるようになった。
また、人間関係が円滑な人達の中には、まあ、二パターンいて、
一つ目が、純粋に、リア充、パリピと言われるような、人生楽しみながら、人間関係を充実させている人達。
この人たちは、仲間に入れてくれると、友達思いで、優しく、楽しい人達が多い。
対して、二つ目が、同じようにリア充、パリピに見えるが、裏で、勧誘活動や、副職といわれるような活動を行っている人達。
最初は、一見すると違いが分からなかったが、一度こうした裏の活動を持っている人に出会うと、その語、言動を通してどちらの属性の人達か見分けられるようになる。
私は、裏の姿がある人達とほとんど関わってこなかったが、一定数いることは学んでいる。
💛人を選ぶ
人間関係が円滑になったことは、本当に喜びだと思っている。
人間の悩みの大半は、人間関係が起因していることがほとんどだと思うから。
夢に悩む人だって、金銭問題に悩むことはもちろんだが、それ以外は、成功するかどうか、そして、そうした成功と金銭を基に周囲の人間関係から反対されていることなど、周囲の意見や周囲の考えというものに悩んでいる人は多いと思う。
人間関係というものは、生活を営むうえで、切っても切り離せないものだから。
だから、人間関係を円滑に出来るようになったことは嬉しいし、
人間関係を円滑に出来るようになったことで、自分という人間性を認められるようになったことも、また嬉しい。
自己卑下して、人間関係がボロボロだった頃は、人と話をすることも関係を築くことも出来ないと思い悩んでいた分、人と自然と関係を築けるようになったことが本当に喜びだった。
そして、この喜びのおかげで、自分の自尊心を卑下する必要がなくなったこと。
自己卑下せずに済むようになったのは、魅力的な人達と関わり、魅力的な人達が自分のことを褒めてくれる。
褒めてもらえるという経験を通して、自分のことを乏してくる人に対して、自己卑下せずに済むようになったこともまた、大きな喜びだった。
人間関係がボロボロのときは、私のことを批判してくる人の意見が正しいと思っていたし、批判してくる人が私に対して悪口を言ったり、酷い扱いをしてきても、自分に原因があると思い、相手ではなく、自己責任として自分を責めていた。
でも、魅力的な人達が、私のことを仲間に入れてくれ、私のことを褒めてくれた。
という経験を通して、現在は、ほとんどいないが、私のことを批判してきたり、失礼な態度を取ってくる人がいれば、自然と自ら距離を置くようになった。
私に対して失礼な言動をしてくる人というのは、大抵が、私自身に問題があるのではなく、相手自身の問題を他人にあてつけてきていることがほとんどだと思う。
少なくとも、現在、私に対して失礼な言動を取る人とは、私は関わらない。
ということを徹底している。
人間を選ぶ
というと、言葉が悪く聞こえるが、自分に対して、失礼な言動を続ける人とわざわざ関係性を続ける必要性はないと私は考えている。
人間にも色々なタイプの人間がいて、
自分のことを大切にしてくれる人間
と
自分のことを雑に扱う人間
の二通りがいると思う。(まあ、中間層もいるだろうけれど、大きく分けてね。)
自分のことを雑に扱う人に対して、批判をしたり、復讐をしようなどは一切思わないが、
極力関わらないようにしている。
というのも、人間であるからには、自分で思考して行動できるという選択肢を与えられているわけだ。
わざわざ、自分のことを雑に扱う人のために
相手と上手く関係を築こうとエネルギーを使ったり、
はたまた逆に、復讐しようとエネルギーをつかうことより、
関わらない。
という選択をする。
そして、逆に、自分のことを大切にしてくれる人
思いやりに溢れている人、
自分が大切にしたいと思える相手のために、エネルギーを使う。
という選択を私はしている。
だって、人生は限られた時間やエネルギーしかないわけで、その大切な時間やエネルギーをどうでもいい人に使うのはあまりに勿体ない。
自分のために、自分で取捨選択をするということは、非常に大切な決断だと思う。