❤したいこと、嫌なこと
自分の日々の生活の中で、
したいこと、
嫌なこと
ってたくさんある。
❤したいことが出来ない罠
したいことが出来ない
もしくは
したいことをする時間がない
でも、実際、しようと思えばいつでも出来る。
時間も作ろうと思えば作れる。
色んなことに挑戦するなかで、そうしたことは理解していたつもりになってたけれど、最近、とりかかりがとても遅くなっていた。
したいと思っても
すぐ自分に言い訳を作ってしまっていた。
~が終わるまではしない。
疲れているからしない。
ゆっくりすることも、なにかに集中することも大切。
でも、自分のしたいと思ったことはすぐにとりかかってあげたい。
自分のしたいことって、すぐに取り掛からないと、忘れちゃうよね。
せっかく、したいと意欲を持った心の火が、時間の経過と共に消沈しちゃうのはもったいない。
だから、出来るだけすぐ、したいことには取り組む。
時間がない、休みがない。
という問題も
朝少し早く起きて活動する。
朝が苦手なら、夜、その分頑張る。
平日が難しいなら、休日に取り組む。
休みがなくても、自分が取れる可能な休日の中で、少しでも取り組む。
たとえば、休日が二日しかないけれど、行きたいと思っていた場所に少しの滞在しか出来ないとしても、行ってみる。
したいことがあるなら、出来る限りしてあげたい。
だって、楽しむために人生あるんだよ。
わたしはそう思ってる。
苦労しないと成長できないとか言うけど、嫌なこと嫌々し続ける人生は私は嫌。
自分の最後のとき、嫌なことしかしなかったで終わりたくないもの。
でも、最近、迷ってばかりで、自分のしたいこと、きちんと出来ていなかったから、反省。
❤嫌なことはしない
嫌なことは極力しないようにしてる。
嫌な人間関係の付き合いも最小限。
悪口や愚痴にも極力付き合わない。
嫌な感情になる行動も出来るだけ避ける。
ということは、心掛けている。
特に、嫌な人間関係を築いても、無意味だと思う。
私は長年、愚痴や悪口。
嫌な人間関係とは関わらないようにしてきたから、そうした人たちが近くにいない。
ただ、友人で人間関係に困っている人の話を聞くと大抵が周囲の人の愚痴や悪口。
愚痴や悪口を言う人が側にいると、不快な気持ちと同調しないといけない雰囲気がある。
そして、自分も言われているかもという不信感や不安が出てくる。
だから、大抵愚痴や悪口を言っている人を信頼する人はいない。
同調する人もいるし、同調する人同士で集まる傾向はある。
だから、そうした集団が集まった世界だとキツいと思う。
でも、こうした世界で同調してても、一時的な関係しか築けないし、足の引っ張りあいばかりで、成長を阻む関係性しかない。
だから、私はこうしたグループの話には入らないし、関わらない。
つまらないし、時間の無駄だから。
あとは、人との連絡ツール。
ラインや電話、SNS。
していないわけではないし、連絡ツールとして使用頻度は高い。
でも、これも正直自分の時間を取られるから嫌。
だから、自分でもっとうまく調節していきたい。
人と話すのも、人と関わることも好き。
ただ、スマートフォンを利用したやりとりは、どうしても時間がとられてしまって、他の作業の邪魔になっている印象があるから、それは嫌だから、調整する。
スマートフォン自体はとっても便利だけど、自分の使い方、使用時間が嫌。
❤嫌なことをやめたら、したいことが出来る
結局、嫌なことをやめたら、時間が出来るから
したいことを出来るようになると思う。
だから、まずは、嫌なことをやめることだな。
そして、したいことに時間を費やす。
❤したいことをしてれば成長に繋がる
苦労は必須だ。
苦労するから成長出来る。
とよく聞くけど、
確かに苦労したり、嫌なことがあるから
嫌な思いをしたくないと努力することで改善して成功する。
ということは、重々あると思う。
でも、わざわざ苦労や嫌なことをしにいく必要はないと思う。
今は色々な情報があり、調べれば大抵のことは出てくる。
一番最初に取り除ける苦労や嫌なことは省いて良いと思う。
それを、意味がわからない根性論や古くさい考え方で、苦労しないといけない!苦労するから優しくなれる!
とか、よくわからない理論を持ち込む人がいるけれど、私はそんな風に思わない。
私は、自分が嫌な思いをしたり、苦労したことは、人にはさせたくないから、教える。
こける人がいれば、その前にそこに石があることを伝える。
でも、苦労成長論の人は、石を教えないことでこけさせることで、痛みを覚えさせ、今後、下を注意してみるように促す。などと聞くけれど、私はその必要性を感じない。
私が石があるから、こけないでね。
と、
声をかければ、今後下を少しは注意してみるようになるでしょう。
こけた痛みがある場合、下を注意深く見るようになる。
私は下を注意深く見るより、景色を楽しみ、たまにこける位で良いと思う。
教えても教えなくても、身近にいつもいるわけじゃない。
こけることだってある。
でも、助けてもらえるときは助けてもらい、助けられるときは助けて良いと思う。
勉強なんかもそう。
教えてもらえるものは教えてもらって、理解して、どんどん先に進んで、最終的に、そうした理解を応用していけば良い。
教えすぎると考えられない人間になると聞くけれど、教え方によると思う。
やり方を教えてもらう。そしたら、少しずつ色んなやり方を教えてもらって、最終的に、自分で応用できるようになる。
考えられない人間がいると言うけど、私も以前そんなタイプだった。
でも、それは、自分の環境下で、一定のルールや常識があった。
それが自分の考えとマッチしていないと考えてもマッチしないため、考えられない人間になっていた。
でも、自分の自由に、小さなルールや共通認識、常識がなければ、自分で考え、応用して行動できる人間になった。
考えられない人を責めるより、考えられない人間にしてしまう環境の方が問題だと思う。
私は自分で考え、自分で取捨選択し、自分を成長させていきたい。
本日もありがとうございます❤